2014年2月16日日曜日

福澤諭吉著齋藤孝編訳「福翁自伝」、ちくま新書



 私は最近少々古い本に凝っている。この本は諭吉が晩年、半生を振り返ってかなり自由な感じで書いた本である。現代語訳になっているので、すらすら読める。訳者の齋藤孝氏も、この本は「学問のすすめ」と一緒に読むことを勧めている。私も以前、学問のすすめはまさに齋藤孝氏の訳で読んだ。学問のすすめも意外に面白いと感じたが、福翁自伝は福澤諭吉の人間性があふれていて、なかなか興味深い。
 福澤諭吉と言えば慶應義塾大学の創立者として有名であるが(1万円札といったほうがもっとぴんと来るか?)、江戸時代末期に咸臨丸に乗り込んでサンフランシスコに行ったときの話が面白い。ペリーが浦賀に来てから10年後に日本から大挙してアメリカに視察に行ったことは、アメリカ人から驚きを持って迎えられたそうである。非常に歓待されたとも言っている。まだ英語を使いこなせる日本人が少なかったこの時代、オランダ語に訳して理解していたというから面白い。アメリカのホテルは、おそらく今のホテルとあまり変わらないと思うが(もちろん違う部分があるだろうが、日本の当時の旅籠と今のビジネスホテルのような違いはきっとないに違いない)、刀を差してホテルの中を歩いている姿を想像することは面白い。当時、まともに辞書もなく、コピー機もない時代にどうやって外国語を理解したか、非常に興味深い。
 福澤は、咸臨丸に乗る前に、大阪の緒方洪庵の塾に入って医学の勉強をしている。そこでしのぎを削って勉強した様子が面白い。まさに、歴史ドラマの中に出てくる世界である。当時、勉強しようとしたらまず本を写すことから始めたことが、改めてわかる。本もなく、丁寧に手取り足取り教えてもらえるわけではない。他の人の目を盗んで勉強するのである。人間の勉学への意欲は、勉学の環境とはほぼ無関係、いや、負の相関があるようにも思える。彼のごく近辺で、腸チフスやコレラなどの病気でなくなる人も多数あったようで、ほんの一昔前まではこういう世界の中で人間は生きていたのだということが改めてわかる。
 福澤は大の酒好きだったようだ。博打や女郎屋には近寄らない。いつも、冷静沈着ながら、いろいろなことに興味を持って、大きく生きていた様子が、この自伝から伝わってくる。

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