2013年11月16日土曜日

芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論」、ロゼッタストーン

この著者の記事が11月12日の朝日新聞のオピニオンに載った。それは、「脱点数主義の罠」という、入試などでの人物本位の評価を否定し、点数主義に徹するのが良いという、ある意味、衝撃的な内容のものであった。人物評価の面接では、「数人の面接官による限られた時間の面接で判断できますか。面接官の好みが前面に出るだけです」と言っている。さらに、「勉強が人間をつくるという面を見ようとしていない。勉強嫌いの人たちが集まっているのでは、と勘ぐりたくなります」と、手厳しい。しかし、言われてみると、確かにそうだ。私の少ない経験でも、面接で高評価だった学生が、入学後すばらしいかというと、むしろ逆の印象の方が強い。
前置きが長くなった。そこで、ともかくこの人の本を読んで見なければ、と思い、早速注文して読み始めた。
 なにせ、500ページ近くある分厚い本であり、さらに、流し読みで理解できるようなものではないので、読むのに時間がかかる。章立ては次の通り。
1.努力する人間になってはいけない -これから社会人になるあなたたちへ
2. かけ算の思考 割り算の思考 -これから勉強を始めるあなたたちへ
3.就職活動への檄20箇条 -大きな企業が有利な本当の理由
4.読書とは何か -本を読める人はわからないことを恐れない人
5.家族は社会の基本単位ではない -家族の社会性と反社会性について
6.なぜ人を殺してはいけないのか  -愛の自由と出生の受動性
7.学校教育の意味とは何か -中曽根臨教審思想から遠く離れて
8.キャリア教育の諸問題について -学校教育におけるキャリア教育とは何か
9.ツイッター微分論 -機能主義批判と新人論と
10.追悼・吉本隆明 -機能主義悲観としての言語の像概念
 内容についての私の意見は、後日書くことがあるだろう。

2013年11月15日金曜日

水内茂幸「居酒屋コンフィデンシャル」、新潮文庫

産經新聞の記者である著者が、民主党から自民・公明の政権に変わる少し前あたりに、自民党の議員中心に、居酒屋で取材したものを載せた本である。取材の相手は、大島理森、園田博之、谷垣禎一、加藤紘一、津村啓介、下地幹郎、石破茂、阿部知子、岸田文雄、安倍晋三、高市早苗、玄葉光一郎などである。また、特別宴席として、石破茂と野田聖子の対談もある。
これを読むと、それぞれの政治家の人となりがよく伝わってくる。酒が強い人も弱い人もあるが、共通して、よくしゃべり、対談を盛り上げたことが伝わってくる。
議員宿舎に住む議員の生活が、必ずしもリッチではなく、わびしいものであることもわかる。単身赴任とはそういうものなのだろうが、センセイ稼業とはこんなものなんだなと思う。
あと、当時の総理野田佳彦や福島瑞穂ともやってほしかったのだが。産経の記者には興味がないか、それとも苦手か。まあ、酒を飲みながら話をする雰囲気ではないか。

2013年10月9日水曜日

松田卓也「2045年問題」、廣済堂新書

2000年問題とは、コンピュータの中で管理している西暦が一と十の桁しかないための問題であったが、2045年問題とは何だろうか?興味を持ってこの本を購入し、読んでみた。
2045年問題とは、コンピュータの能力に関する問題であった。2045年に、技術的特異点、すなわち、コンピュータの能力が人間を大きく超え、人間を脅かす存在になる年ということらしい。
コンピュータが意識を持つかどうかということと大きく関係する。コンピュータが意識を持たない存在であれば、有益な道具として使うことに問題は生じないと思うが、このあたりの問題が2045年問題たるゆえんである。人間にとっても、自分の脳の拡張が世界のクラウドコンピュータの世界に広がるという状況は、今でも概念的にはわかる状況ができつつある。しかし、これからは、体外に自分のクローンができたり、さらには肉体をなくして、コンピュータの中にしか自分が存在しなくなるというようなSFの世界みたいなものまで書かれている。
私は、コンピュータは単純な道具としての利用者であり、そのレベルを超える、意識の世界におけるコンピュータのあり方に興味がない。今後は、むしろそうしたものに対して抵抗しながら生きていくこれからの自分の姿を予感した。

2013年10月3日木曜日

小林雅一「クラウドからAIへ アップル、グーグル、フェイスブックの次なる主戦場」、朝日新書

クラウドは、手元のモバイル機器からデータをホストに送り、重い処理をこなしてまたモバイルに結果を送ってみせるという処理方式において、インターネットによりどこからでもホストにアクセスできるというユビキタス性を利用した形態であることは、クラウドを様々な形で使っている人はご存じだろう。一方、AI(人工知能)は私から見るといささかかび臭い言葉である。あまり期待せずに読み始めたら、自分がキャッチアップできていなかったところが明確にでき、強く感化された。
 AIは、昔ながらの決定木を使ったものではなく、ベイジアンネットワークの時代を経て、ディープラーニングが今ホットであることを知った。ディープラーニングは、階層の深いニューラルネットであって、私が学んだ順番はニューラルネット、ベイジアンネット、決定木なので、昔に戻ることを奨励されているようなものである。ディープラーニングを含むAIを使った新しい技術が、現在の技術革新の中核をなしていることがわかった。
 第三章「知性の値打ち ―AIが生み出す巨大なビジネス・チャンス」が私にとっては最も値打ちがあった。AIを搭載したSiri、自動車や移動ロボットに搭載されるSLAM、介護・介助におけるロボットの巨大市場。これからは間違いなくロボットの時代であることを、この本を読んで確信した。
 この本のタイトルには、「クラウドからAIへ」と、いかにもクラウドの時代が終わりかのような書き方がされているが、読んでみると、そういう趣旨ではないようだ。スマホ、Googleめがね、タブレット、移動ロボット、どれを見てもすぐに廃れるものではないが、計算能力が低く、そこで大きなAIプログラムを走らせるわけにはいかない。クラウドを構築して、強力なAIシステムを走らせるのも悪くないなと思った。ここ十年ほど、機械学習の研究から遠ざかっていたが、少し戻ってみようと私に思わせてくれた本である。

2013年9月30日月曜日

遠藤周作「老いてこそ遊べ」、河出書房新社

狐狸庵こと、遠藤周作氏、子供の頃よく読んだが、この本が生誕記念90年で、あちこちに書かれたエッセイを集めたものとして出版されたので、買ってみた。
まず驚いたのが、五十代や六十ちょっとの頃書かれたもので、自分を老人と呼んでいる。あの頃はそうだったのか、それとも、遠藤氏が特別だったのか。ちょっと区別がつかないが、彼は病気がちだったので、早く老人になったのかもしれない。しかし、粘ってみたところで、どうせ六十代半ばになれば、老人と言わざるを得ないだろう。まだ自分は老人ではないと、必死に抵抗している自分を感じた。
まあ、私もそれは自覚している。だからこそ、こんなタイトルの本を買っているのである。無理をせず、老人になったことを受け入れて、楽しくすごそうとした遠藤氏の気持ちがとても伝わってくる本である。これを読むと、老人になったら、趣味を1つではなく、あれもこれも持った方がいいという主張がわかる。
一番面白く読めたのは、「老年の心境」という10ページ強あるやや長目のお話。雑種の犬に人間を投影して、気持ちを書いている。犬がウンコをするところを、人に見られているときの犬の気持ちを細かく書いているところが笑えてしまう。なるほど、そう考えてウンコをしているのか。言われてみたらそういう顔をしているなあ。遠藤氏の庶民性が感じられ、心が温まる本であった。

2013年9月29日日曜日

白洲正子「たしなみについて」、河出書房新社

著者は白洲次郎の妻で、1998年に亡くなられている。この本は、1948年に刊行された単行本が、今年8月に新書版で発刊されたものである。
何分、終戦直後に書かれたもので、今だったら文字にすることを躊躇するような差別的な用語も含まれているが、そういうものも含めて、極めてストレートに書かれていて、大変わかりやすい。美とは何か、人生とは何か、そういった大きな命題に対する著者の気持ちが非常にわかりやすく書かれている。私は非常に共感を持ってこの本を読むことができた。
つべこべ言わずに、正しいことは何かということがストレートに書かれている。昨今は、日本語の単語が、差別用語などとして使えないものが非常に多くなっており、(そのことの是非は議論があるものの)文化が衰退しつつあることは否めない。文化の高さを感じた。なお、この著者はマッカーサーを困らせたというくらいだから、相当な人である。
本当の日本人とはどんなものなのか、わかったような気がした。明治の人の話を読むと、それを感じることが多い。自分が幼少の頃、親の実家に行ったりしたときに、明治生まれの祖父母がいたり、茅葺きの家だったりしたので、私はその辺の空気が体感的に理解できるおそらく最も若いグループに属するのではないかと思う。
この本は繰り返し読んで座右の銘にしたい本である。

2013年9月11日水曜日

鎌田浩毅「京大教授の伝える技術」、PHP新書

人にうまく話を通すには、価値観を合わせることが必要だというのが、この本の最初に書かれている。自分の価値観でものを考えるのではない。また、理論的にこれでいいはずだというようにも考えない。相手がどのように考えるのかということを考えて話をすると通じるということらしい。
京大教授の地震学者という堅い肩書きとは無縁な、とても柔らかい印象の本である。序章から、「生き方の旗印」には四つあって、「安楽志向型」、「王様型」、「気配り型」、「主導権型」というのが出てくる。こういう形が出てくれば、自分がどの型なのか、自然に考えるだろう。
対人関係をよくするためのノウハウがとても詳しく書かれている。受講生が山ほど押し掛ける人気教授になったらしい。それは、この本のカバーにもつけられている、ご本人の写真を見ると、納得がいく。真っ赤なシャツにジーンズの上着、ものすごく派手なネクタイ。こういう形を自ら見つけたというところがこの著者の立派なところだろう。

2013年8月31日土曜日

瀬戸内寂聴,ドナルド・キーン「日本を,信じる」中央公論新社

日本を信じるとは,東日本大震災からの立ち直りを信じると言う意味だ.キーン氏は,東日本大震災後,日本と寄り添って人生を全うすることを決めた人である.2人ともこの本出版時に90歳である.当然,死後の世界の話などもたくさん出てくる.ただ,2人とも日本を愛してやまない人であるが,今の日本のあり方には疑問を持っており,危機感もお持ちである.
この2人が,日本の立ち直りを信じると言えば,我々も安心感を持つことができる.しかし,2人も,そう信じるしかないでしょう,というスタンスのようである.
日本のよさとは何だったのか,こうした人々から学びながら,これから生きていく人がそれを維持して行かなければならないのだ.大丈夫か,若い人たちよ.

2013年8月14日水曜日

林原靖「破綻 バイオ企業・林原の真実」、WAC

あのビッグ倒産、林原の専務直筆の破綻のストーリーがとても生々しく描かれている。果たしてこの破綻は何だったのか?いままで何も知らなかったことが恥ずかしい。林原は、つぶれるべくしてつぶれたのではない。つぶされたのであった。
銀行とは?弁護士とは?何気なく我々が持っているイメージとはかけ離れたものであることをこの本は教えてくれる。マスコミが思考停止しているという指摘も、納得のいくものであった。

思考停止している人間たちと関わりを持って生きたくはない。しかし、関わりを避けるべく、何もしないという人生を歩みたくもないし(これは、著者がそう言っているのではない。私がそう思ったのである)、それは、思考停止している人間に負けるということだろう。

2013年8月8日木曜日

斎藤明美「最後の日本人」新潮文庫

タイトルを見ると、いったい何が書かれているのかと思うだろう。「日本人」とは、忍耐、努力、信念、謙譲、潔さ、・・・を美徳とする、昔からのイメージの日本人のことをいう。
著者は、「日本人」が日本から消えゆく状況にあると思っている。この本では、25名の「日本人」が、著者のインタビューに基づいて描かれている。その中には、著者が養子になった、高峰秀子とその夫松山善三氏が含まれている。その他は、吉行あぐり、双葉十三郎、緒形拳、石井好子、永六輔、山田太一、中村小山三、安野光雅、戸田奈津子、水木しげる、伊東四朗、澤地久枝、山田洋次、佐藤忠男、森英惠、岩谷時子、サトウサンンペイ、出久根達郎、鈴木史朗、野村万作、天野祐吉、佐藤忠良、松山善三、王貞治という面々である。
 どちらかというと、表に自らを出さず、黙々と信じるところを生きてきた人が描かれている。鈴木史朗、佐藤忠男などがその最たるところであろう。

私は、昭和31年、日本という国に生まれた偶然を、感謝している。まだ貧しさの残る時代だったが、少なくとも今よりは、正しいことが正しいとされ、悪しきことが悪しきこととしてみなされ、努力することを誰もが美しいと信じていた時代に子供時代を送れたことを、幸せと思っている。

これは、王貞治のところに書かれている、著者の心情の発露である。私も著者と同じ昭和31年生まれである。人の心は育った時代が大きく左右するものだと思う。そういう意味では、ほしいものが何でもあるが将来の展望がない今の時代に育った人は本当に気の毒だと思う。こう思うのは、「今より将来はよくなる」と信じることができた我々世代の人間だからであろう。

2013年7月6日土曜日

ラフカディオ・ハーン「日本の面影」,角川ソフィア文庫

ギリシャ人である著者が日本に帰化して,小泉八雲となったことは私も知っていたが,彼の著作を読んだのは初めてである.本屋さんに平積みされていて,面白そうなので読んでみた.
この本は,1890年頃の日本の風景や建物,そして日本人,山陰の文化といったものへのものすごく深い愛情が描かれている.とかく,外国人に外部評価をもらって初めて自信を持つ日本人であるが,これを読むと,自分が日本人であることに,ものすごい自信が持てる.
いま,彼が生きていたとして,同じ事を言うかどうか,とても興味がある.というか,多分そうは言わないのではないだろうか.
昨今,日本に自信を取り戻すという,強い口調の政治家が多いが,自信が持てる日本が残っているのかどうか,一度検証してほしい.この本を読むと,どういうところがヨーロッパ人であったハーンにとってすばらしいと映ったのか,よくわかる.それは,心底人の良い,人間味あふれる日本人そのものだったような気がする.私が現在の日本にあるのかどうか疑問に感じるのはその点である.

2013年6月29日土曜日

阿川佐和子「阿川佐和子のこの人に会いたい8」,文春文庫

言わずと知れた,週刊文春の対談の一部である.2009年~2010年の19本+藤田まことが登場した回の収録である.
長嶋茂雄,綾小路きみまろ,白鵬翔,福田衣里子,野口聡一,大橋のぞみ,さだまさし,由美かおる,西田敏行,タモリ等々であり,最後に,お父様の阿川弘之もある.
どんな人との対談も見事にこなしている.さすがである.タモリは少々苦手のようだったが,もともと面白い綾小路きみまろとか西田敏行などは,ものすごく盛り上がった様子が伝わってくる.2時間の対談,受ける方も力量が問われるのだと思った.

2013年6月27日木曜日

阿川佐和子「サワコの和」,幻冬舎文庫

「聞く力」は大ヒットし,私も大ヒットを知らずにこの新書は読んでいた.しかし,今回初めてこの方の文庫本を読んでみた.
随筆であって,基本的に新書と大きな違いはないが,日頃の彼女の人への接し方や生き方など,ごく自然に伝わってくる.とても上品.かつ,何事にも勇気を持って果敢に挑む姿も見える.安心してこの人の本は読める.ほぼ同年代の人間としての共感も大きい.
とても男尊女卑の厳しいご家庭に育ったということで,未だ独身にもかかわらず,男の気持ちや男とのつきあい方も憎いばかりによくわかっておられる.とても賢い女性という感じがする.人生一度でいいから会って話をしてみたい人である.むりだよなあー

2013年6月25日火曜日

谷本真由美「キャリアポルノは人生の無駄だ」,朝日新聞出版

キャリアポルノとは,この人の考えた言葉で,いわゆる「自己啓発書」のことである.自己啓発書が悪いものだとは普通あまり考えないだろう.特に,積極的にそういうものを読む人もあるに違いない.しかし,それはポルノと同じで,意味がないというのだ.
こういう本は,一度読んで終わりではなく,同類の本を次々に読む.何度も自己啓発するということは,本当に自己啓発になっていない証拠だという.非常に手厳しい.
人脈を広げるといった行動も同等の行動だそうだ.確かに,言われてみたらそうだと思う.私も,そういうキャッチフレーズに弱い方かもしれない(典型的に弱いわけではない).私の書架にも,そういう本が散見される.「スタンフォードの自分を変える教室」なんて本が,読まずに積んである.

この人の思想の根本は,ヨーロッパ人の人生観があると思う. この人はイタリアでそれを身につけた.私も25年ほど前にオーストリアにいたときにそういうヨーロッパ人の人生観に触れて非常に衝撃を受け,自分の人生観に大きな影響を受けた.だから,昔の自分を見るようで,とてもよくわかる.この本は,私を25年前に引き戻してくれる.

2013年6月21日金曜日

百田尚樹「永遠の0」、講談社文庫

百田尚樹氏の処女作である。永遠の0のゼロはゼロ戦のことである。
物語は現在から始まる。姉弟が、自分たちの祖父のことを調べたいという興味から、話は始まる。
祖父といっても、自分たちが最近までおじいちゃんと思っていた人ではなく、本当は実の祖父がい
て、その人のことを調べたいと姉、いや、母が言い出したのである。
その人、宮部久蔵のことを知っている人を調べていくと、戦争の際の知人だった人が何人かあるこ
とがわかった。それらの人に順に面会して話を聞いていくうちに、宮部の人物像が明らかになって
いくという構成である。
この話は、宮部久蔵の人柄に心から感動させられる物語である。職業軍人にあるまじき(というの
が常識だった当時の雰囲気の中で)、自分の命を最優先するという設定である。そして、この人は
まれにみる非常に優れたパイロットである。
自分の命を大切にする。それは自分の家族のためである。それを終始貫くことは、彼の立場上非常な困難だったにも関わらず、それを貫き通す。しかし、最期は、特攻して死んでしまう。それはな
ぜか?
次から次へと読者の興味を新たに喚起しながら話が実話のごとく進んでいく。戦況などは実話であ
ろう。これによって、太平洋戦争のことを少し知ることができる。そして、それ以上に、物語とし
て楽しむことができる。
12月には映画が公開されるという。本を読んだ後に映画を見ると、印象が変わってしまうことがあ
るが、この話であれば、やはり、私の想像力を超えた世界である、戦争のさまざまな場面は映画に
よって見せてもらうほうが、よりリアルにイメージできると思う。だから、見ることにする。

この本の最後には、児玉清氏の13ページにおよぶ解説がついており、これがきわめてすばらしい。
てっとり早くストーリーを知りたければ解説から読むとよい。

2013年6月15日土曜日

百田尚樹「海賊と呼ばれた男(下)」,講談社

イランの石油の買い付け権利で,国岡商店がすごい冒険をし,実現したことをこの本で知った.何かをやるには,当然のごとく,危険をいろいろと冒すことが必要だが,それをあらためて感じさせてくれた.今の教育に足りないものは,こういうことを教えることではないだろうか.
国岡は,初婚のユキとは別れている.それは,子ができなかったので,ユキから離婚を願い出たものだが,国岡はユキがずっと自分のことを慕い続けていたことを知って,涙する.自分はユキと共に生きるべきではなかったのかと自問自答する.この辺は,読んでいて私も涙が出そうな思いだった.
下手な感想を書くのは,この本に対して失礼である.国岡鐵造に心から惚れると共に,1人の男をこのように書き上げるすばらしい力量に感嘆する.

2013年6月14日金曜日

百田尚樹「海賊と呼ばれた男(上)」,講談社

国岡鐵造は出光佐三のことらしい.フィクションなのか,ノンフィクションなのかはっきりしないが,ノンフィクションらしく書かれている.私は,これをノンフィクションだと思って上巻を読んだ.
実在人物にこれだけ大物がいるのかどうかわからないが,読者は国岡の大物ぶりに惚れるだろう.日本人のプライドをよみがえらせてくれるような本である.また,国岡をサポートする人もすばらしい.
下巻を読むのも楽しみだ.

2013年6月13日木曜日

曾野綾子「生きる姿勢」,河出書房新社

いつもながら,なかなか厳しい持論をお持ちである.
足から伝わる温度や感触もなく,背骨に堪える重力的な苦痛もないと,小説の題材は,どうしても抽象的,かつ異次元の体験だというものに傾きがちになる.・・・(p.208)
これは,研究についても言える.だから,私は,実際的なものを研究している.そのことを誇りに思っている.
自分で食べ物を得て,調理すること.水を確保すること.暑さ寒さを防ぐこと.敵から自分の身を守ること.食うために稼ぐこと.子供を育てること.それらの力を,自力で基本的な部分だけ確保することが必要だと思わない人が増えたのである.
全く同感.ただ,自分自身,出来ていないこともあるが,それは自分自身,良しとしていない.上記のようなことを人に頼るのが当たり前で,それをしてもらわなかったら不平不満を言う人は私の信条に反する.

2013年6月2日日曜日

西成活裕「シゴトの渋滞学」、新潮文庫

以前、「渋滞学」というこの方の本を買っていた(言葉通り、買っていた。まだ読んでいない)ので、興味を持ってこの本を買ってみた。
この文庫本は、渋滞学そのものの話というよりは、ご自分が渋滞学という新しい学問を興し、成功した成功体験が書かれている本である。流体力学、プラズマ、非線形をミックスしたという。渋滞という言葉から、それはよい3分野であり、渋滞学というのがかなり巧みに考えられた分野であると思われる。
大いに啓蒙され、また、渋滞学を勉強してみようという動機付けにはなった。ただ、渋滞という、非常に一般的な分野に、流体、プラズマ、非線形という、専門性の高い分野の勉強が必要ということになると、普及は困難であろう。どのような学問なのか、一度「渋滞学」を読んでみようと思う。

2013年5月25日土曜日

三浦しをん「舟を編む」、光文社

映画にもなっているが、私はこの本を最初に読んだ。映画は(まだ)見ていない。この本を読んだ動機は、先日書いたように、「辞書を編む」という新書をたまたま買ったら、その帯に三浦しをんが絶賛する短評を書いていたから、逆に、三浦しをんの「舟を編む」に興味を持ったのである。
「辞書を編む」も、「舟を編む」も、どちらも辞書を編纂する仕事の話がメインである。しかし、この舟を編むは、主人公である馬締光也という青年が、大渡海という辞書を会社で編纂する仕事を中心にして、同じ下宿に入ってきた大家の孫娘と恋をし、結婚するという、仕事と恋愛が並列して書かれている小説である。「若いっていいなあ」という感じがする本なのである。この本やこれの映画が人気があるようだが、それは、堅い、まじめな世界に生きていて、それをとても楽しく描いているためではないだろうか。
恋愛の描き方もきれいである。なにしろ、主人公が馬締(まじめ)なんだから、とにかく真面目なのである。恋愛相手の香具矢(かぐや)は、堅物ではないが、板前を本格的に目指している、仕事に意欲を持つ女性で、とてもきれいな女性に描かれている。帯に、宮崎あおいの写真があるから、多分映画では宮崎あおいが香具矢を演じているのであろう。こういうイメージの女性である。
馬締の15枚のラブレターによるプロポーズを一度で受け入れ、しかも、それを冗談やいたずらではなく本気だと知った香具矢が馬締に馬乗りに乗ってきて一気に恋愛を成就しているが、この辺が私としては二人のイメージとは少々異なる。もう少し手間をかけてほしかった。あ、恋愛小説ということではないから、仕方ないか。
まあ、こういう感じで、非常に清潔な感じで、かつ、恋愛気分も味わえる、楽しい本である。
※いま、映画のPR版をネットで見つけて少し見たが、現実的で、具体化されていて、よくわかるが、自分が本から得たイメージとは少し違うように感じた。本を読んだときのイメージは人によってずいぶん違うのだろう。本を読むことの重要性を確信した。

2013年5月21日火曜日

三浦しをん「ビロウな話で恐縮です日記」、太田出版

おまえ、変な本読んどるな~と言われそうです。
話せば長いことながら・・・、三浦しをんを読もうと思ったのは、先日読んだ「辞書を読む」という新書の帯に、この人の書評が帯に書かれていたのです。そう、「「舟を編む」の三浦しをんさん、大絶賛!!」と書かれていたのです。「辞書を読む」がとても面白かったから、これを大絶賛する三浦しおんの本に興味を持ったのでした。
書店で舟を編むを見てみたところ、本屋大賞第1位とか、大学生協一般書・年間ベスト1とか、タイトルを取っていた本なんですね。そこで、書店の同じ並びの本を眺めてみたところ、この本があって、何だか、楽しそうなので、買ってみたというのが理由です(やっとここまで到達!)。

この本は、日記というだけあって、三浦しをんさんの日常生活が書かれています。タイトルどおり、ビロウな話もたくさん。でも、いやらしくありません。それを通り越して、この人の話の軽快さ、リズム感といったものがあふれ出ています。

それはそうと、私、なぜかこの人の名前を「三浦をしん」だと今までずっと思っていました。一度思い込むとなかなか気づかないものです。Yahooか何かで、「三浦をしん」と入れて検索をかけたら「三浦しをんで検索します」という表示が出て初めて気づいたのでした。
今日、授業でこの話を100人の学生の前でしゃべったのですが、誰も三浦しをんを知りませんでした。そんなもん?大学生協で第1位というのに・・・。誰も手を上げなかっただけ?
私1人で道化師になって、雑談をし、面白そうな話をしているのに、「をしん」で笑わず、さらに、三浦しをんを知らないとは、私の教えている学生はいったい何なんだろうと思った次第。

2013年5月12日日曜日

秋元康「趣味力」、生活人新書

こういう本を読むということは、自分も、趣味を持たなければという気持ちがあるからに他ならない。秋本氏は40代で陶芸を趣味にしたという。ギャンブルは趣味にならない。なぜなら、上達しないから。というご主張は納得できた。まあ、私自身、いまギャンブルを趣味にする気は全くないが。
趣味ということでなくても、毎日初めての経験をすることが大切という話には共感を覚えた。確かに、初めてのことは、緊張感を持って行えるし、謙虚になれる。
どんな趣味が持てるだろうか。私なりの趣味としては、アプリ作成などはいいかもしれない。Javaはよくしらないが、C++を知っていれば敷居は低いだろうし。写真は趣味としてやっているが、人の評価を受ける形でやったほうがいいかとも思う。

飯間浩明「辞書を編む」光文社新書

三省堂国語辞典(略して三国)の編者の1人であり、辞書の編集についていろいろと経験や方針などが書かれている。辞書では、新語を入れることが重要な改訂作業であり、特に、この辞書が我々日常生活で必要としているような言葉を扱うことを目的としているため、新語の話が力を入れて書いてある。
三国は、現在、android版アプリがあり、入れようかと思った。ところが、自分のスマホを見ると、富士通の統合版辞書が入っており、全然使ったことがないことを思い出した。あまりスマホで辞書はつかわないなあ。でも、電車の中なんかで遊んでみようかと思って、ダウンロードした。

2013年5月4日土曜日

村上春樹「色彩を持たない多崎つくると,彼の巡礼の年」,文藝春秋

多崎つくるは,名古屋の高校生だった.そして,高校のときの彼を含めた5人の友人(うち,2人が女性)が,不思議な一体化をなしていた.大学に入って,つくるだけが東京に行き,あとの4人は名古屋に残ったが,しばらくの間はつくるが名古屋に帰っても,5人の友人関係が続いた.
しかし,あるとき,4人からいきなり拒絶された.つくるは,理由をしることなく,訳もわからずに拒絶されることになった.
その後,灰田という後輩の友人ができたが,十年以上たってから,沙羅というガールフレンドができた.ここが,この本の「現在」である.つくるは,4人から拒絶されてから,精神的,肉体的に大いに挫折する.沙羅に出会ってから,そのことを打ち明けたら,沙羅は,大学時代の事件を解明するべきであるという.沙羅は,4人の現在の状況を調べてつくるに教えた.その中の1人シロは,既になくなっていた.残る3人を順に訪問し,大学時代の事件が何だったのかを知る.それは,シロが,つくるに強姦されたといったというのであった.
つくるが,順にそのときの友達を訪問して,真相を知ると共に,沙羅と結婚をしたいと考えるようになる.しかし,ある日,つくるは沙羅が中年の男性と親密にしているのを見てしまう.つくるは,ついに,沙羅にも真相を迫った.沙羅は,数日後,真相を話すと約束した.その日の直前で話は終わる・・・
青春小説ですね.若い人に人気があるのはわかる気がする.

2013年4月28日日曜日

谷口忠大「ビブリオバトル 本を知り人を知る書評ゲーム」文春新書

ビブリオバトルを考えた谷口氏自身による本である。ビブリオバトルは、話し手数名と聞き手(数名以上)があって、話し手が自分の好きな本をきっちり5分間、PowerPointを使わず紹介して、そのあと2~3分間ディスカッションをする。全員話し終えたら、聴衆が自分が最も読んでみたいと思った本に1票を投じ、票の数を話し手が競うというゲームである。

今まで、このゲームの内容については聞いて知っていたが、その成り立ちについては知らなかった。私にとって驚きだったのは、谷口氏がこれを考えたときは京大の片井研究室のドクターの学生だったということだった。片井先生も、また、同じ研究室の川上准教授も、よく知っている。

この本には、ビブリオバトルの成り立ちが詳しく書かれている。事の発端は輪講だったらしい。輪講は誰か(たいていは先生)が決めた本を、皆が順に説明をしながら一緒に読んでいくというものだが、本を選ぶところから研究の一部にしたいと考えた。そして、皆が推薦する本を紹介し合い、決めていくというプロセスから派生しているそうだ。その後、プレゼンをするときに、PPTを使わないとか、レジュメもなるべく使わない、5分間という時間もきっちりきめたなど、結構、厳密にゲームのやり方を決めてそれをビブリオバトルと呼んでいる。具体的には

ビブリオバトルの公式ルール
1.      発表参加者が読んで面白いと思った本をもって集まる。
2.      順番に一人5分間で本を紹介する。
3.      それぞれの発表の後に参加者全員でその発表に関するディスカッションを2~3分行う。
4.      全ての発表が終了した後に「どの本を一番読みたくなったか?」を基準とした投票を参加者全員一票で行い、最多票を集めたものを「チャンプ本」とする。

専用サイトも開設されており、川上先生、片井先生との共著の原著論文も書かれている。これを、自分の研究としたところもすごい。

我々も、pptを使わずに講演をすることなど、結婚式などの祝辞以外には滅多にない。5分間、原稿無しでしゃべるのは非常に良い訓練になるだろう。

面白そうだということと同時に、尻込みする人が続出するような気もするが、案外、若い人は出来るかもしれない。そういう意味で、早く試してみようと思う。

ビブリオバトル公式サイト
http://www.bibliobattle.jp/

2013年4月24日水曜日

湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂」新潮文庫

近くて遠い国。中国。私たちの年齢(昭和30年代生まれ)くらいが、最も中国に対して親近感を持っていた年代だろう。物心つく頃までほとんど何も情報がなく、眠れる未知の国という感じであった。ある頃(国交回復頃か?)から、日本から旅行のツアーが始まった。人民元と兌換元があり、外国人はレートの遥かに悪い兌換元しか使えなかった。それでも、日本は圧倒的な強さがあり、核実験以外は、中国を恐ろしいと感じることはなく、物珍しさからこの国や文化に近づいていった時代が続いたと理解している。そして、私は直接話したりメールを送る中国人の友人も何人かある(両手で数えられるほどではあるが)。もっと年配の人は戦争を知っているだろうし、もっと若い人は、強くなった中国しかしらない。

親しくなればとことん信頼できるが、物事に対する感じ方や方法など、よくもこんなに違うものだと思うほど違いを感じることもたびたびのこと。最近はそれが国際関係にも強く影響していると思われる。この国で、成功を収めたというイトーヨーカ堂の物語である。さもありなんと思われる多くのトラブルが書かれている。それでも、この国で成功を収め、昨年のデモでもほとんど無傷だったらしい。
日本のブログやSNSでは、多くのネット右翼が日本人の中で理屈が通らない人に対して浴びせるのと同じような議論を中国に対しても行っているように思えるが、そこには、こういう国が隣にあるという現実をどうしていくのかという建設的な議論は見えない。この本を見ると、中国人とのつきあい方の一つのあり方が書かれているように感じる。

2013年4月8日月曜日

鈴木翔「教室内カースト」、光文社新書

ここで著者がいう「カースト」とは、同級生の間での地位の差のことをいうらしい。我々にとってなじみの薄いカーストと言う言葉を使ったのは何故だろうか。日本の地位の差の言葉を使ったら生々しくなるからか?
それはともかく、教室内で、活発なグループと、仲間はずれになるような子供たちが別れることは私も経験している。この本では、3つのグループに分けている。
この本を読んでみて、ヒンズー圏でのカースト制度、さらには、日本、もっとさらには猿などにもあるこうした上下関係のグループ化が高等動物の社会上必然性を帯びているのかどうか、ということに興味を持った。この本は、学校の中のカーストに焦点を当てている、というか、そこに興味が100%行っているようなので、残念ながら、人間社会でのカースト化の必然性や猿などのカースト化には言及がない。
多分、私の興味とは土俵が違うのだろう。

2013年4月7日日曜日

辻野晃一郎「グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた」、新潮文庫

ソニーに就職し、ソニーでVAIOの開発などを任され、事業部長くらいまでなった著者は、ソニーに入社したときに、井深大から「自分のためにならないと思ったときにはいつでもソニーを辞めてくれ」と言われたということを覚えていて、自分の気持ちに正直にソニーを辞めた。
そして、その後、ハローワークに通ったりしたときに、グーグルからお誘いがあり、グーグルの日本法人の社長を勤め、3年でやめて自分の会社を作った人の自己伝である。
会社にいたときに、アメリカの大学に留学した経験が、グーグルに入ることに大いに貢献したと思われる。ソニーが、留学経験を会社に生かそうとしなかったことが、辻野氏がソニーに違和感を感じることになった1つである。

すごい経験を持っているこういう人の自伝を、若い人は是非とも読んでほしいと思う。本来、仕事はこういう風にできればすごいなと思う。なかなかこういう人生を歩める人はいないけどね。

2013年2月20日水曜日

元村有希子「気になる科学」、毎日新聞社

文系出身の彼女だが、理系の学問が好きで、毎日新聞社の科学環境部に所属している。読んだ感じとしては、完全に理系の人のもののようである。科学に関して、確かな目をお持ちである。
この人の個人が随所に出ていて、面白い。このあたりが、文系出身としての面目躍如たるところか。
自称肉食女子とのことだが、お目に掛かりたいものである。私も、人差し指よりも薬指の方が大分長いので・・・(意味がわからない方はご一読を。)

2013年2月17日日曜日

福岡伸一「動的平衡2」,木楽舎

私がドーキンスの利己的な遺伝子を読んだのはいつだっただろう.20年近く前だっただろうか.
個体は,脈々と続く遺伝子の乗り物であって,遺伝子のために便宜的に存在しているというような話だったと理解している.
その後,その手の本は読んでいなかったが,単なる偶然の仕業でここまで高度な進化が遂げられるのかという疑問は常に頭の中にあった.それが,どうもエピジェネティクスという進化の方向をつけるための仕組みがあるということらしい.そうでないと,いくら長い進化の歴史といえども,ここまで構造的なものはできないだろう.
といった話が,具体的な現実を照らしながら楽しく繰り広げられているのが本書である.それにしても,福岡ハカセは博識である.こういう本を読むと,生物に興味が沸く.進路を考えている高校生の諸君も,こうした,読みやすい本をそれぞれの分野で読んで,興味を膨らませて進学してほしいものだ.

2013年2月11日月曜日

福岡伸一「動的平衡」,木楽舎

動的平衡とは生命現象のことである.生命が維持されるというのは,止まった状態ではなく,常に動的に変化していくというのが本質であるという,非常に哲学的に示唆に富む話である.
生物の専門にうとい私には良く理解できないところもあるが,少し勉強してみたいという気持ちになった.

曾野綾子「人生の原則」河出書房新社

この本は,東日本大震災の直後からあとに書かれた,雑誌などに掲載されたエッセイを集めたものである.ものを考える尺度が日本の平均的なところになくて,外国,とりわけアフリカをよく知った上で,生き物としての人間の基準におかれているとでも言うべきであろう.
もっとも,この本に限らず,著者の本はすべてそうであるから,驚きは何もない.いや,これが80才の方の書かれたものであるということについて驚かされる.山本富士子と同じ年であるとか,エリザベス・テイラーと身長・体重共に同じであるとかいう話もあって,女性としての意地・誇りのようなものも感じさせる.

2013年2月10日日曜日

齋藤孝「10分あれば書店に行きなさい」、メディアファクトリー新書

目次、まえがき、あとがき、解説などを読めば本の内容の大部分がわかるといったお話は、「目からうろこ」的な感じがする。学校の先生でありながら、齋藤先生のこうしたお話は、学校では普通教えてくれないお話である。むしろ、解説を読んで本文を読まないとはけしからん、とおしかりを受けることの方が多そうな感じがする。
批判を覚悟(?)で書かれているからこそ、この人のお話は参考になる。
私は、毎日が無理でも、週に一度は書店に行って、1時間ほどさまよっている。こうした私の習慣を後押ししてくれる本に出会った気がした。

2013年1月19日土曜日

福岡伸一「生命と記憶のパラドクス」、文藝春秋

週刊文春に連載されたエッセイ集である。1ページ半の短いエッセイが66本集められている。
短いからとても読みやすい。そして、福岡ハカセの考えることが手に取るようにわかる。
福岡ハカセのものは、人気があるが、なかなか専門性があって読みにくいという印象があったが、この本は日常的な常識があれば、誰にも読めるだろう。それにしても、ハカセの教養の幅広さには脱帽だ。 よく読んでみると、やはり生物の話がベースになっている。そこをベースにする限りは、教養の高さは当然のことだろう。

2013年1月14日月曜日

福岡伸一「福岡ハカセの本棚」メディアファクトリー新書

福岡伸一先生の推薦書が書かれている。趣味と専門が一致している福岡先生ならではの、非常に奥深い読書の推薦である。
この本に推薦されている本を読破しようと思ったら何年かかるかわからないほど、中身が濃い本がたくさん並んでいる。福岡先生の知性の深さを感じる本である。ダーウィンの関係の本と、ファーブルの進化論批判のあたり、非常に興味深く感じた。素人的には、ダーウィンの自然選択説は受け入れがたい。福岡先生も、目のように、構造化しているものが本当に自然選択で出来るのかどうか疑問を感じるとのことであり、このあたり、今後の学問的発展に興味がわいた。

辛坊治郎「辛坊訓」、光文社

テレビでお馴染みの、辛坊治郎さんの本である。表紙に書いてあるように、「かなりとんがってます。テレビでは決して言えません!」とあるように、思うところがずばり書かれているように思った。
今の日本政治のおかしなところが、ずばり指摘されている。言っていることは、かなり直接的な表現であるが、言うべきことをきちんといい、自己責任をもち、おかしなところを曖昧にせずという部分、共感する。
これは、野田政権ではおもいきったことが出来なかったために不十分なところであり、安倍政権は逆の発想であるように思う。